「第1回支援物資お届け」(タイトル仮)のご報告

 この度は、ご参加に際してこちらの指定方法での配送や、直接お持ち頂いたり、皆様のお気持ちとご協力、本当にありがとうございました。皆様の被災地の方々への想いを伝えて参りましたことをここにご報告致します。

 実際に被災地を五感で感じてしまうと、やはり自分の精神状態も通常の状態ではなくなった感覚があり、感情の起伏が激しくなることにより、不適切な表現等含まれてしまうかもしれません。

 具体的に申しますと、不自然に明るく書こうとしていたり、皆様の気持ちを暗くしてしまうような表現があるかも知れず、しかし、事実だけを述べただけでもつらい表現になることが必至であり、気持ちや想いを強制するものでも、批判するものでもないもので、「皆様には感謝の気持ちでいっぱい」であることをご理解ください。

 文中↓↓↓↓↓↓↓↓から↑↑↑↑↑↑↑↑の部分に、主観による、感じたことやエピソードを含めております。
 ジャーナリストでもない私のつたない文章であり、中にはショッキングな内容が含まれてる可能性もあります。報告のみ知りたい方や、精神的に今はつらい方は、この矢印に囲まれた部分をとばしてお読みいただけます様よろしくお願いします。
 また、書ききれないエピソードはたくさんございます。後日改めて、報告させていただきます。

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4/17 mtg.により、詳細決定
4/18 末松一人、ぺんぺん画、赤間慎により物資募集開始
4/19 翌日より、続々と物資が到着。その仕分け箱詰め等、そのほとんどをぺんぺん画が。。。
~21 義援金でご協力頂いた分でのコストコや、ドンキホーテ等への買出し
※ひっきりなしになるチャイムに、仮眠がとれないほどの物資の到着具合だったようです。
本当にありがたいことです。


まだまだ集まり続けます。。。

4/22
・現地ご持参の荷物が続々到着。1階ロビーにて仕分け。
・積み込み…近隣の迷惑も考え、お手伝い頂く方も限定させて頂きました。
全部は無理かと思うほどの量でしたが、全て載せました。


この右側にもまだまだたくさん物資!物資…物資…


リヤ側だけ、超シャコタンです。


ここに一人宮城まで埋まることになります。


achikoちゃんの作ってくれたおにぎりやから揚げやコロッケを手に。。。

4/23 雨、夜には強雨

・未明に出発 末松一人、achiko、赤間慎
・朝 泉区将監到着 ここで亘理行きの荷物とachikoちゃんが降りました。
 亘理行きの荷物は、この後、achikoちゃんとお母様により、亘理の避難所や点在する自宅避難の方々へ届けられました。

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 向かいの公園の野球場には、周辺から集められた瓦礫や、壊れた家具、家電製品などがとてもたくさん集積されてました。持ち込む時間が指定されているにも関わらず、中には時間外に持ち込み、中に入れず、周辺道路等に不法投棄される方も多かったと伺いました。
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・石巻市元倉 末松さんのお知り合いの熊倉一徳さんのお宅へ到着。
浸水:1.5~2m、ライフライン:水道○ 電気○ ガス×

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 東北道福島入った辺りから、路面は補正された箇所が多くなります。段差等が増え、場所によって80km、50kmの規制が敷かれてます。スピード出してると車傷めることになるでしょうね。
 宮城県内一般道は、所々で、路面は波打ったり、陥没していたりです。東部道路、三陸道は基本ずっと渋滞のようで、泉区将監→三陸道→石巻市元倉で、2時間ちょいかかりました。

 石巻河南より石巻バイパスを東へ。浸水のあとが周囲の建物についてたりもするのですが、おおよそ片付いてるように見えます。たまに手付かずの家の中がぐちゃぐちゃになってるのを見て、浸水したことがやっと確認できるのでした。雨だったので、砂塵もそんなに舞っていなかったのです。

 ところが… 

 目的地手前でローソン(その日営業を再開)に寄ったのですが、店を出て一本曲がったら…目を疑う世界が目の前に広がったのです。路面は格段に悪くなり、歩道ありの片側一車線のその道は、すれ違いが困難なほどに両脇に、瓦礫、幾袋もの土嚢、家財道具等が積み重ねられ、それが、背の高さ異常にもなってました。
 雪国で、雪かきをした道路、両脇に背丈以上もの雪が寄せられ…そんな景色の雪を、瓦礫に置き換えたような景色です。
 道路には当たり前のように深さすらわからない水溜りの数々、復旧作業が行われて間を縫うようにして、息が詰まるような思いで到着。心の準備をしてたとはいえ理解し難い光景でした。1ヶ月半近くも経ってまだこんなだとは…。

 最初に耳にした言葉は関西弁でした。家の前で「大阪~」と書かれたゴミ収集車が何台も入れ替わりで作業していて車庫に入れなかったのです。数十人もが雨の中で作業してましたが、震災を経験してるからか、とても効率よくおそろしい早さで片付いていってました。
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・末松さんと熊倉さんの再会を見守り、熊倉さんや奥様にお話を伺いました。
※被災者の方々に直接伺ったエピソード等、たくさんありますので、また別にお伝えさせて頂きます。

・熊倉さん一家のご協力でお宅に、物資を下ろし内容ごとに整理、陳列。被災者の方々に来て頂くことになりました。入れ替わり立ち代わり、近隣の被災者の方々が訪れ、ゆっくり選んで頂き、それは、夕暮れまで続きました。

方法:ダンボールのままふたを全開を、見やすいようおおよその内容ごと3列に並べ、減りの早い物から、都度車に残された物資を補給。持ち帰っても使えるよう、ゴミ袋を配布し、物資入れに。。。

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 熊倉さんは、東北プランニング(株)の代表で、地元青年会議所でも多大に貢献された方で、とても顔が広く一緒に歩いてますと、すぐに誰かに声をかけられ、ご挨拶してる姿を何度もみました。よほどの地域貢献度の高さなのでしょうね。主観では、背は高く(180cm)体格がっちり、声も低く、安岡力也さんのような迫力を持った、「石巻のドン」的な方だと。。。
 皆様、物色されてる最中、ひっきりなしにお電話、奥様はお昼には、カップラーメンやレトルト食品やコーヒーを振舞っておられました。現状は、ガスが来てなくて、交通手段は皆失い、近隣でお店はやってなくて買い物にも行けず、物資支援もほぼなし。バスで数十分乗るとやっと最近では買い物ができるようなありさま。
 ですから、この状況下でのカップラーメンやレトルト食品は最高のおもてなしです。
この方々、あまり、ご自身が被災者であるとは思っていらっしゃらないような。。。
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・15時頃、末松さんのもう一つの目的、高台から旧北上川の撮影をするため、毛利壯幸さんらに日和山公園を案内して頂きました。

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 津波10~15mと言われてる地域が一望できる公園です。
持っていた傘をさすのも忘れただただ立ち尽くすばかりです。
やっと出た言葉は…「だめだ…」
 この時、物資を見て喜ぶお顔を拝見した直後だというのに、何をやっても駄目だ…、自分は意味のないことをしている…と、全てを投げ出し、地球も全てもなくなってしまえばいいって…、そしたら、全てがなかったことにできる…って、思いました。
 すみません。今現在、感情的に書いてるわけではないです。皆様になにかを訴えたいわけでもありません。ただ当時、感じた事実をありのままに書くとこうなるだけです。しかしやはり言葉にするには難しいようです。
 しかし、あまりいい結果を生むわけではないと思うので、やはりこういう部分の表現は、ジャーナリストにおまかせして、自分は控えさせて頂きますね。もちろん、個人的にお話する機会があればお話させて頂きます。現地の方々は、「ぜひしっかり見て、ご自分の言葉で皆様に伝えてください」と、その被害の多い場所をもご案内してくださいましたが、個人的にお話をする…という形をとらせてください。お気軽に声をかけてみてください。
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・町の主な場所を案内して頂きました。
日本製紙の横を通り、門脇町を通り、南浜町、明神町、湊町、中央、住吉町を経由し、元倉へ戻る。

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道中、毛利さんに各地の状況を説明していただきました。
門脇町は、火災もあり一晩中空が真っ赤だったいう地域。
南浜町は、壊滅状態。解体用重機が2~3台稼動してました。
そのほか、2階だけ残ったお家に避難所から戻られて、無理やり生活してる方々の多い地域のお話を伺いました。
 言葉では表現できないひどい状況であることだけのご報告に控えさせていただきます。
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4/24 晴れ

・熊倉さんのお宅に、朝から被災者の方々がいらして物資をお持ち帰り頂きました。
・熊倉さんの計らいで、お知り合いの小、中学校や高校等、避難所に携わるたくさんのお知り合いに、物資持込が可能かをご連絡をしてくださいましたが、やはりどこも受け入れてはくれませんでした。

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 やはり、数が揃わないと無理だそうです。
「以前、数が揃わないから配布できない物資を、緊急を要するからと配布し、全員に行き渡らなかったが為にブーイングを受けた」といったエピソードも伺えました。こうした場所でボランティアをしてる方も被災者なわけで、やるせない想いばかりです。
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・昨日、暴風雨のためうまく撮れていなかったため、もう一度日和山公園へ。

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 ボランティア経験者の誰もが言うとおり、ものすごい砂塵で
した。常に砂が舞っていて、なんとなく世界は黄色いです。ただ…、現地の方でマスクをしている方は少ないです。洗濯物も外に干され、魚が腐敗したにおいが漂ってます。石巻は、魚の加工工場が多く、冷凍してストックしている魚がみんな街に流され、異臭を放っているそうです。

 日和山公園は、桜が満開で、たくさんの方々がいらしてました。お店や出店も数点出ていて、それは、勇気を与えてくれるものでした。さらに、ボランティアの団体が、ビールやジュースの無料配布もしていました。
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・熊倉さんの計らいで、急遽ラジオ石巻へ向かうことになりました。
主に、song for hopeの立ち上げ、趣旨、活動内容等、現地のリスナーにお届けすることができました。

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ラジオ局の方との会話が聞こえました。
「被害大丈夫だった?」「あーうちは人も建物も大丈夫だったよ。」「浸水は?」「ぎりぎり床下だから被害なし」「うちも被害なし。よかったよかった」
…って、こんな会話ですが、車1台と、車2台を失ってる方の会話です。一ヶ月以上に及んで未だ終わらない家の片付けとかライフラインすら十分じゃないことや車1~2台は被害に数えないのか。。。
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・石巻中学校の避難所訪問。末松さんが人を探していたのですが、結局お話することはできませんでした。

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 この避難所は約200人。プライバシーは一切なく、空気もよくなく、伝染性のある病気など蔓延する理由もよくわかりました。天気が良かったので、校庭にたくさん停められた車の中で過ごす人も何人か見られました。
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・だぶついた物産品等があったら買っていきたいという話を聞いてくださり、水産加工品で有名な魚町地区を案内して頂きましたが、ほとんどの場所に人はいなく、壊滅的ダメージだったので成果は得られませんでした。

・昨日、案内して頂いた、2階だけ残ったお家に避難所から戻られてる方の多い地域にて、物資をゲリラ的に配布。ボランティアで移動お風呂サービスをしている箇所に、数人いらしたので、ここにしばらく滞在し配布。
 その他、車で走りながら、人を見つけると配布…という形をとり、その日積んでいた分の物資は全て配ることができました。
 尚、具体的に配布した地域に関して詳細を知りたい方は、こちら(赤間)に直接ご連絡をお願いいたします。

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 津波は、4mの地区で、半壊、全壊も多いが、建物が残ってると避難所を出て戻って2階生活してる方々もいらっしゃいます。ライフラインは未だに全てダメ。避難所と違って、救援物資等が得られにくい地域です。みなさん、車等失ってらっしゃる方が多いので、歩いて行こうにも、お年寄りには遠い距離になり、遠い街への買い物はおろか、近くにあるべき自衛隊の救援物資の配布所ですら行くのが困難な様です。
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・熊倉さん宅に戻る。
 残りの物資は、配布を続けてくださることになりました。そして5/7に個人支援物資が集められる機会があり、最終的にそれでも余った物に関しては、そちらに回してくださるという、ことを引き受けてくださいました。

報告は、以上です。
 実際感じてきて、たくさんの情報を得た結果、この活動は続けて行く意味があると判断しました。あまりに状況が様々なので、時と場所により少しずつ形は変えていきますが、今後ともご協力をお願いいたします。そして、皆様の想いが届くことを祈りながら、活動を続けさせて頂きます。
本当に、ありがとうございました。

次回は、5/7夜中発で、亘理行きです。
詳細はまた。。。

あかましん


左から、末松さん、熊倉さん、毛利さん、赤間

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 どうみても被災地ど真ん中の熊倉さん、ご家族の方々、毛利さんに多大なるお世話になりました。
そして、みなさん、何度説明しても被災者意識が薄い…(!?)というか…。「うちより大変な地域があるから…」と。。。もちろんそれも事実なのでしょう。なにせ我慢強い東北の方々だし。

 車一台、あんなことになっていたら、本当は大事件です。高速道路だったら見物渋滞ができるほどです。それが、あれだけの広い範囲で当たり前の物のように見せ付けられ、それがさらに茨城県から青森県まで続いてると思うと、いよいよ理解ができなくなります。
 熊倉さんからは、生き残った友人はみんなぎりぎりだったと伺いました。
一人一人のあの日からのストーリーは、全国ニュースで何度も放送されるレベルの大事件と被害状況なんですね。それが…、被災地のどこの方たちも、物資はちょっとずつしか取ってくれないのです。
 インスタントコーヒーの瓶が10個あっても取ってはくれません。スティックコーヒーの箱を開けて中味を家族の分だけ持っていきます。「わあ、お味噌だ」…って、手に取るものの、普通のサイズの味噌は戻されてしまいます。そして、だしの素の箱を開け、小分けされた中味ちょっとだけ持っていくのです。
 たくさんの缶詰の陳列をしていると、楽しみに見ているのとは裏腹にとってくれないので、「たくさんあるのでどうぞ持ってってください」と声をかけると、
「あ、その秋刀魚のやつは一つ頂いてますので…」って…、やっぱり思いやりで。。。
「ここが、最後での場所で、僕らもう東京帰りますから…」っていうことを繰り返し、やっと、みなさんに少しでも多くとっていただき、車載していた物に関しては、やっとはけたのでした。

 ふと思ったことは、「一個10円」とかで売った方が、実はみんな少し遠慮がなくなるのかなぁ…とかね。。。どうなんだろう。。。
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