日別アーカイブ: 2009年12月1日

ラムネ ありがとう

うむ…、今とまったく変わらないね。。。 5歳♪

時系列に沿ってお話しますね。

 11/22の相曽晴日さんのライブ出演のための大阪行きが決まったのは、結構直前だったんですよね。 そして、相曽晴日さん、板倉賢林さんと大阪への道中、はるひさんがおもむろに
「ラムネ食べる??」
…ですって!!
 見ると、「ラムネいろいろ(商品名)」だったかな?? 一円玉を5枚重ねたくらいの大きさのとか、バファリンが厚くなったようなのが5、6粒、が包まれたやつとか、フルーツ味のとかいろいろ入ったやつですよ。。。

「ええっっ!! 懐かしいっっ!! ばあちゃんが遊びに来るとき、必ずお土産にもらってたんですよ♪♪ 僕にとってラムネと言えばばあちゃんなんです♪ 実に20年以上振りですよ!! まだあったんですね。。。」

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 ばあちゃんと一緒に実家(2階)の下(1階)住む叔父の一人が、腰の手術で入院してました。20日に退院して、僕らが大阪でライブをしているちょうどその頃、実家の下では、快気祝いで大好きなおすしをたらふく食べていたそうな。。。

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 ライブ終わってから、ふと落ち着いた時に、はるひさん板倉さんとなぜか、最後の晩餐についての話になりました。 僕は、「とんかつ定食」と答えました。 はるひさんは、「やっぱ、すしでしょうね。」説得力のある低い声を使ってました♪

 偶然にもYAMAHAポプコンアーティスト2レンチャンだった私、次の日の本番のため、夜走りで東京に戻りました。 無事帰宅して、楽器片付けて落ち着いたのが、11/23 AM6:30頃でしたね。 大好きなお酒なんぞも頂いちゃって、長距離運転の疲れもあって既に喉から手が出ておりましたが、一升瓶だったので我慢我慢です。 mixiでひつじ村(ゲーム)して、そろそろ寝ようかなと思ったのが8時過ぎでした。 もう一人の叔父からメールが来ました。

たった一言でした。

「今朝、ばあちゃんが亡くなりました。」

 実家は、15分ほどの所なので、すぐに向かいました。

 聞けば、自宅で息を引き取ったのが、7時過ぎ。 その1時間半前には、叔父と会話もしたようです。 その後しばらくたって、なんとなく異変に気付き、見守られるべく人たちに見守られながら、静かに息を引き取ったそうです。 

 一度病院に運ばれ、再び帰ってきたのは16時ごろでした。

 それまでに、お花を手配しようと、style22って花屋を営む親友へ電話したのはお昼過ぎてました。この時間からは、連休中のこの在庫からは難しいかも…と言われた覚えがありますが、彼は僕との電話中すでに、市場に向かい始めていたようです。そして、普通の仏花にこだわらず、好きな花でカラフルにしてあげることを提案してくれました。
 僕のひいじいちゃんは、菊の名人。ばあちゃんの夫であるじいちゃんも、菊、朝顔とたくさんのお花に囲まれ、花を愛してました。ばあちゃんももちろんです。
 叔父らと話していたら、ばあちゃんはガーベラが好きだったようです。花屋の親友に電話してみたら、環八で渋滞中。多分もう、無理だな…なんて思いながら、ばあちゃんを迎えてから、少し遅めにライブに向かいました。

 ポプコンアーティスト2デイズ、2日目は、BBQ和佐田さん仕切りで、田中雅之さん(ex.クリスタルキング)のセッションです。リハはおろか、譜面の打ち合わせもやってくださらない現場なのですが、この日はいよいよ、サウンドチェックすらしてくれませんでした。

 本番前に、なぜか恒例のカレーうどん待ちのときに、兄と花屋の親友から電話が来た。 無事に届けられたと…、おばあさんが、行いが良くて、花を愛してたから、花に愛されたんだって…、でっかいガーベラがいっぱいだって…、みんな喜んでるって…、ばーちゃんの部屋が明るくなったって…。

 ば、ばば、ばかやろうっっ!! こちとらこの本番が終わるまでは絶対泣かないって決めてたんでぃっ!! てやんでいっっ!! カレーうどんが妙にしょっぺーじゃねぇかっっ!! ←元からしょっぺーね♪

 いや、無理でしょ?こんなの…。 でも一号泣したおかげで、しゃっきり本番を迎えられました。 この男には、花で2度も泣かされましたね。まだ2度しか頼んでないのに…。
 ブログに書いてくれてます。http://ameblo.jp/style22-com/

 ばあちゃんの遺言もあり、家族葬で送り出し、仮通夜、お通夜と、大好きな花に囲まれ、大好きな花にうずもれて逝きました。

 93歳。 大往生です。 いろいろ奇跡とか、不思議なようでしたが、大阪行きが決まった辺りから、すべてが当たり前な気がしてなりません。 ばーちゃんが、たった2泊入院してた時に、じーちゃんは逝きました。 だからばーちゃんは、残される人のことまで思いやって、逝ったのだろうと思ってやみません。

 結局のところ、ばーちゃんは息子の退院を見届けて、一番大好きなすしをたらふく食って、見守られるべく人に見守られ、自宅で、苦しまず眠るように、誰もが悲しまない一番最善の方法をとって、老衰で逝った訳です。そして、奇跡の花にうずもれて。。。
 こんな逝き方…しようと思ってできることじゃない。。。

 だからおかげさまで、寂しいけど悲しくも悔しくもないのです。 出てくる涙は、全て、感動と感謝の涙ばかりです。
 勝手ながら、ご愁傷さまというコメントだけは、ご遠慮ください。

 長々とありがとうございました。

はてさて…、 2個だけ残ったこのラムネ… 

さすがに、食べられんよ。。。