第1回に引き続き、5月3日に第1.5回、個人的な友人のいわき市、5月8日に第2回として亘理に行って参りました。
そして、第2回でも、スムーズな支援物資のご配送手配や、お持ちいただいたりと、ご協力本当にありがとうございました。皆様の想いの形を、全てお届けしてきたことをご報告いたします。
初回からそうですが、激しいギャップの中、自分の現実がどちらにあるのかわからなくなります。被災地にいると、目に入る凄まじい世界は、現実に目の中に飛び込んでくるのですが、おそらく脳は全てが嘘や夢のように処理をしているのでしょう。こちらに帰ってくると、当たり前過ぎる自分の日常が信じられなくなります。自分の真実は被災地にある…というように感じるのです。僕の周りの、ボランティアに行ってる皆さんが、ずっと、行きっぱなしになってしまう人が多いのは、こんな理由も含んでるのだな…と、感じたりします。もちろん主観ですが。。。
というわけで、やっぱりうまく伝えることができないので、前回と同じ方法で報告させて頂くことにします。文中↓↓↓↓↓↓↓↓から↑↑↑↑↑↑↑↑の部分に、主観による、感じたことやエピソードを含めております。
ジャーナリストでもない私のつたない文章であり、中にはショッキングな内容が含まれてる可能性もあります。報告のみ知りたい方や、精神的に今はつらい方は、この矢印に囲まれた部分をとばしてお読みいただけます様よろしくお願いします。
文中にいろいろな表現が出ることもあるでしょうが、事実を羅列するだけでつらい表現になり、思いを強制するとか、批判するものではありません。「皆様の愛への尊敬と感謝の気持ちでいっぱい」であるのが真実です。
そして、ここで書ききれないこともたくさんたくさんあり、お伝えしたいとも思っておりますので、お気軽にお声をかけてください。
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第1.5回いわき市
5/3 いわき市の久ノ浜で、家を流された友人に、ごく親しい友人たちのみで私的に物資を届けて参りました。 3/11の夜から、避難区域の拡大に翻弄され、一晩ごとに避難所を移動した方で、だんな様は自衛官。たくさんのお話を聞き、建物損壊具合による問題点や、背景等の一部を理解することができました。
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第2回亘理町
目的 :
1. 第1回で亘理に向かったachikoちゃんのお知り合いである民生委員さんより頂いた情報に基づき、支援物資の収集及びお届け。
2. 上記の民生委員の方からの以来を受けたパントマイミストまあさのパフォーマンス。
3. 第1回から宮城へ滞在していたachikoちゃんを迎えに行く。
4. その他、未定ですが、他の地域も行くかもしれない。
4/29 物資募集開始
~5/7 またまた、たくさんの物資が届けられました。義援金としてお預かりした分での物資の買い物も…。
19時までにお届けしていただいた物資たちを、最終仕分けし(赤間は、また仕分けには参加できませんでしたが、、、)、赤間が到着で、積み込み開始です。
まとめられた荷物を見て、今回はゆとりがあるな…と、思っていたらまた、ギリギリいっぱい。
こんなにも物資がぎゅうぎゅうになると、なんとも言えない気持ちになります。
なにせ、皆様の愛のかたまりですから。。。
感動と同時に、もの凄い責任感が生まれます。
5/8 晴れ お昼近くに激しい雷雨
未明に出発 まあさ 、ぺんぺん画、赤間慎
8時半過ぎに、achikoちゃんとお母様と弟さんと合流し、物資配布会場になる高音寺へ。
今回は、achikoちゃん一家とお友達の民生委員、高橋勉さん「べんちゃん」に、一日お世話になりました。このお寺では、定期的に物資配布会を開催しているのですが、なにか、公というよりは、物資の至急されない、または、配布所までとりに行けない方たちのために、民生委員の方々が自主活動のように立ち上がって行ってるのだそうです。役所の方々と、現場(前述の民生委員の方々)での現状認識のギャップが激しく、半ばいつも戦ってらっしゃるようです。
お寺の駐車場が会場になってますが、民生委員である住職により、駐車場(配布会場)と、屋根付きのガレージ(支援物資置き場)が提供されてるのです。
9:00 支援物資を受け渡し。
次に行く、避難所(小学校)で配布する為にわけたおかしと文具、を残してお渡ししました。
この間に、まあさがパフォーマンスしました。
10:00 支援物資の配布会スタート
お昼頃、雷雨により、早めの終了を余儀なくされました。
このガレージに、物資を卸し、民生委員の方々で、再仕分けされます。
このテントの右側に新品衣服や書籍、文具用プレハブがあり、その右側(屋外)には、中古の衣服コーナーが広がります。
みなさん、最初はかたかったものの、徐々にまあさのパフォーマンスでリラックスしてたご様子です。
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上記のはがき、「何人からの寄付ですか?」と聞かれ、「ものすごくたくさんの人からです」と答え、とりあえず、数枚だけ頂、写真でお伝えする判断をしました。現物はMONKEYDASHにございます。
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「べんちゃん」「べん
ちゃん」…って、ひっきりなしにいろんな人からご挨拶され、屈託のない笑顔で相手を気遣ってる。。。 なんか、誰もが会ったことがあると感じるような、熱くて厚くて人のいいおっちゃんです。白髪にキャップをかぶり、着ているトレーナーと、ズボンをつまみながら、「これも、支援していただいたやつだよ」って、笑顔で話してくれる。。。
そんなべんちゃん、もちろん被災者です。この辺りは、仙台東部道路から続く常磐道盛り土の上を走っており、東部道路同様に第二の堤防のようになって、この道より東側が津波の被害が大きい地域、荒浜地区です。この地域では、電気、ガスがまだの所も多いようで、1階はたいてい使い物にならなくなってるそうです。。。べんちゃんも、この地域の方です。
ライフラインの復旧の情報(各市町村の役場等の発表)と、現実に格差がある理由のひとつがわかりました。石巻の状況も総じてわかったことですが、公共の地域のライフラインが復旧しても、そこから各家庭へのラインの復旧工事の人手と機器が間に合ってないのです。例えば、ガスですが、ガスコンロが復旧してから、お風呂に入れるまで1週間近くの差があったようです。浸水すれば、お風呂の給湯器も壊れます。その給湯器の交換工事が全然間に合ってないのです。電気も同様に、すぐそばまで電気が来てても、家までが繋がってなければ電気は来ないわけです。そして、役所では、ほぼ復旧したと、発表してしまうわけです。 その情報の誤差が数週間~1ヶ月に及んでる所も少なくありません。まだまだなのですね。。。
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ここでは、民生委員の方々が、しっかり仕切っていて、20名くらいの方々が15分くらいづつ、各種類一人一つまでで、一方通行、後戻りはなし…と、いうルールの下、みなさん物資を選んでました。たくさんの民生委員の方が、しっかり物資を見ていて、物が少なくなると、まめに倉庫となるガレージからどんどん補充してました。ガレージの物資も全て管理、把握してるので、その都度何がどのくらい必要かわかるようなシステムです。7月くらいまでは続けたいとおっしゃってました。
ちなみに、途中雨が降ってきて、急いで外の物をプレハブにしまったのですが、そのまま凄い雷雨になり、周辺では落雷で停電までしていたようです。
いらっしゃる方々は、自宅避難者が多いそうです。2階だけ残って自宅に戻って、救援物資を受けられない方々や、大丈夫だったおうちに数家族で共同生活をしてる方々が中心だそうです。民生委員の方々が運営してらっしゃるだけに、状況は大体は把握されてるそうです。
しかし、この荒浜地区は早々に野次馬が殺到し、自衛隊等の作業に支障をきたしたため、立ち入りの規制が早かったのです。べんちゃんのように、当該地域の住人ですら立ち入りにも許可証が必要で、しかも2週間に1回許可書を更新しなければならないそうです。そして、つまり、報道も規制されたため、支援も少なくなってしまってるのが現状だそうです。
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午後
荒浜地区の方々が集まる避難所(小学校)へ移動。
子供たちを集め、まあさパフォーマンス後、お菓子や文房具を配りました。
後ろから、演る人見る人の両方に気を配りながら、笑顔で見守るのが「べんちゃん」こと高橋勉さん。
雨が降ったりやんだりだったので、体育館と校舎を結ぶ「渡り廊下」でパフォーマンスをしました。
終わったら、小袋に仕分けしたおかしや、文房具類を皆様に手渡し、コミュニケーションをとることができました。
お菓子は全部配り終え、あまった文具等は、べんちゃんに預かって頂き、再び高音寺に運んでくださることになりました。
その後、前回今回ともachikoちゃん用に別枠で集められた荷物が届けられた場所、荒浜地区のアセロラ農家(自宅避難)に荷物をお届けし、帰路につきました。浸水2mの区域で、作物や農機具、加工機器等はもちろん全滅、おうちの復興作業を続けてらっしゃいます。
報告は以上です。
第1回から2週間、震災発生から2ヶ月、多少復興は進んでる地域もあるとはいえ、まだまだ信じられない世界が広がってます。0からのスタートではなく、0に戻す作業すら始まってないところも多いです。僕らの活動もまだまだ、意味を感じられる状況と判断しましたので、続けたいと思っております。 今後も、無理ない程度に、ご参加くださいますようお願いいたします。
尚、今回は、交通費という名目で頂いたカンパにも若干ですが、余りが出ましたので、次回へ繰り越しをさせて頂こうかと思っております。
次回、日程はまだ未定ですが、明日、次回便についてのMtg.をして参りますので、近々また、告知させて頂きます。
長文にお付き合い頂き、本当に本当にありがとうございました。
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避難所の子供たちは、とても元気で、まあさもたくさんいじられてました。子供の方が順応性の高いからなのか、友達と四六時中一緒にいるのが楽しそうな子供も見受けられました。しかし、大人にはとてもつらい空間です。今回、中には入ることはしませんでしたが、人の熱気と、湿気、におい等、空気の悪さ… …言葉ではうまく表現できませんので、これ以上はやめておきますが、伝染性のある病気が流行りやすいのは、入った瞬間わかります。 たくさんの人が一つの空間に、数ヶ月なんて、大変なことです。 しかし、荒浜地区を見る限りではまだまだです。徐々に仮設住宅もできてますが、全ての避難所が解散するのはいつになることでしょうか。。。
そして、自宅避難の方々です。なぜ、避難所にいないのか…という疑問に絡む問題の一つですが、 家屋の損壊具合です。全壊、半壊、全半壊や、一部損壊…。それぞれの定義がもちろんありますが、この損害における、賠償やら保険やら補助やら、全てにおいて保障されるものではないので、とても不安が残るのです。仮設住宅にはもちろん全壊の方からです。その上、保障の状況もわからなければ、半壊や一部損壊の方々は、自宅に戻るのです。そして、動ける人は一生懸命、自らの手で片付けやリフォーム、床や壁まではがしてまでやってらっしゃいます。
つまり、息苦しい、仮設住宅には入れるかもわからない、保障なんかあてにできない、となれば時間がおしい… こんなことも大きな問題となってるようですね。。。ボランティアさんも不足してるようです。 そして、私の心はまた、被災地へ。。。
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べんちゃん、実は、、、早朝、お義母さまがご危篤で、今日は参加できないかも…というお話だったのですが、少し遅れていらしたのです。 お義母さま、亡くなられたそうで、もう何もしてあげられないから来た…と。。。
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まちんさん色々とありがとうございます。ほんと感謝です。
私はうまく書けずに、こんなんでいいのかと。おもってました。
やっとTVで物資の変化というのをやっていました。
遅すぎるよー。と突っ込みましたが。
冬物が大量にあるために倉庫が占領されてしまっていると。
今回もっていった夏物たちが役にたってるのは間違いないと思います!
べんちゃんは明るくて。。。私、正直元気をもらって帰ってきたように思います。
ネットで知り合いになった方が募金活動をされていて震災から日にちがたってきている今、募金される方もすくなくなってきているといっていました。
だんだん気持ちも薄れていく中、ながーい協力をしていけたらいいなと思っています。